サヨナラの意味
暗い話をします。
正直いつ書くべきか、
むしろ書かないべきなのか、
ずっと考えていました。
でも、いつ書こうが暗い話に変わりはなくて
見なければよかったと思う人もきっといると思うし
読んで読んで!っていう、喜んで書きたい話ではないのだけど
やっぱり書くことにしました。
なので、無理に読まなくていいです。
辛くなるかもとか
プライベートの話は別にいいやと思う人はブラウザバックしてください。
大丈夫ですか?
聞きましたからね。
...はい。
では続けますね。
この記事のタイトル、乃木坂46のシングル曲なんですが
去年の終わりから一時期、私にはこの曲しか聴けない期間がありました。
父が病気になったからです。
正確には、怖い病気の疑いがあると診断されたから、です。
その時は確定されたわけではなかったけれど
ネットで少し調べれば、怖い結果ばかりが並んでいて
朝起きたら、言いようのない怖さと不安でいっぱいで
寝ても覚めても、仕事中も、誰かと一緒にいる時でさえ
気が気じゃなかった。
だから、というわけではないけれど
音楽を聴ける移動中は、精神安定剤のように
この曲を聴いていました。
年末から年明けにかけては、お友達のみんなに随分お世話になりました。
そんな精神状態で、私一人で抱えるのは無理だったから
とにかく誰かに会いたかったし
解決策なんてなくていいから、ただただ話を聞いて欲しくて
あんまり連絡取ってなかった友達や、大学時代の先生に連絡取ったりもしました。
よく一緒に帰っていたのりさんは、自分の幸せな報告をするのを留めて
私のことを気にかけ、話を聞いてくれました。(もちろん後々聞きましたが
そんな生活が続いた、2月の頭に
病名が確定しました。
ネットで調べた時に一番出てきて
一番怖くて、一番聞きたくなかった言葉でした。
末期がん、
何もしなければ余命半年です、だなんて
まさかそんなドラマみたいな話、実際自分の(親の)身に起こるなんて
想像して怖くなってたりしたけど、やっぱりどこか他人事として考えてて
実感がわかなかったです。
そして、それまで散々友達に聞いてもらっていたのに
逆になんにも話せなくなりました。
話すことで、不安が言霊となって現実になって
もっと悪くなってしまったら、そう思うととにかく怖くて
口にも、文字にも全く出せなかった。
病名が確定した次の日から、父は入院しました。
お見舞いは週一だけ、母か妹と一緒に行っていました。
途中他の病気を併発して転院したり、また元の病院に戻ったり…詳細は省きますが
3月の終わり、亡くなりました。
入院から二か月も経っていませんでした。
職場の上司と、当時一緒に働いていた数人にだけ話した数日後のことでした。
お通夜、お葬式には
父の友人、職場の人がたくさんきてくれました。
私の職場の上司も2人来てくれていたし
友達も、のりさん、知夏、そして生まれた時からの幼馴染が来てくれました。
友達の父親なんて、基本的に会ったこともないのに…本当に本当にありがとう。
正直、私がちゃんと泣けたのは
全部終わってからでした。
こんなのあった!ってラインしたくなって、あぁもうできないんだ
家に帰ってきて、今日はこうでね、ここ行ってねって話したくなって
あぁ、もう話せないんだ・・・・そう思った時でした。
家族の仲は良かったと思います。
父が単身赴任が多くて、あまり家にいなかったのも大きいかもしれません。
いなくなってしばらくは、どこか遠くへ仕事で行っていて
中々帰ってこれないんだって
そんな気持ちでいた時もありました。
だからかはわかりませんが、今でも何かと父を連想して
辛くなる日が多いです。
こういう時こんな風にいつも言ってたなとか
これ好きだったなとか、、
幸せだったのかなとか、そんなことすら思い始めるし
鬱陶しいと思っていたことでさえふとした時に思い出して、
そうなるともう、一人でいる時だとだいたい泣いてしまう。
ハンドメイドアカウントには、鍵をかけて一定期間だけ書きましたが…
この話を外に全く出さなかったのは
趣味アカウントで、プライベートな(ディープな)
しかもこんな暗い話をわざわざ見たいとは誰も思わないなと思ったことと
ただ普通に笑う時間が欲しい
このことを何も知らない人と、何もなかったように
「今まで通り」過ごしたい…そう思ったからでした。
直前と直後に数回、ドタキャンみたいに予定をキャンセルさせてもらって
本当に申し訳なかったなと思っていますが
そのあとは、予定は殆どキャンセルせず
撮影会にも、遊びにも普通に行きました。行っています。
不謹慎とか、考えなかったわけではないですが
私が私で在るために必要だと思ったから、、
あれから半年以上たったんだなと
今、書きながら改めて思っています。
朝起きていきなり、その時の光景が浮かんで
何も手に着かなくなったり
言いようのない不安で、いきなり涙が溢れたり
あの時色々あったせいで、家の電話が鳴るのが恐怖でしかなかったり
それまでのような平穏な精神状態は、まだまだ遠いのかなと思うことも多いですが
それでも友達や、撮影会でご一緒する方々と会って話して、笑うことで
私は生きている、、、そう思えます。
最後に
これ読んでるかはわかりませんが、
このことを知っていたリア友と、数人のフォロワー様方。
知ってもなお、普通にしてくれて
「いつも通り」接してくれて、本当にありがとうございます。
どれだけ救われたかわかりません。
ほんっとうに、ありがとう。
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